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東京高等裁判所 昭和54年(行ケ)140号 判決 1983年2月28日

原告 細井良祐

右訴訟代理人弁理士 小谷悦司

同 長田正

被告 特許庁長官 若杉和夫

右指定代理人 久保田史朗

<ほか一名>

主文

特許庁が昭和五四年七月三〇日に同庁同年補正審判第一二号事件についてした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

原告は、主文同旨の判決を求め、被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二当事者の主張

一  原告の請求の原因

(一)  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和五〇年八月五日、名称を「エンドミル」とする発明につき特許出願(昭和五〇年特許願第九五四九八号)をしたが、昭和五三年八月四日拒絶理由通知を受けたので、同年一〇月六日付をもって意見書とともに手続補正書を提出したところ、同年一一月一七日に補正却下の決定を受けたので、昭和五四年三月六日審判の請求をした。特許庁は、これを同庁同年補正審判第一二号事件として審理のうえ、同年七月三〇日、「本件審判の請求は成り立たない。」旨の審決をし、その謄本は同年八月一六日原告に送達された。

(二)  右補正却下の対象となった発明の要旨

単刃のボールエンドミルにおいて、切刃の始端がエンドミルの回転中心付近にあり、エンドミルの底面視において切刃が回転方向に対して凸なる曲線をなしかつエンドミルの外周部の切刃曲線より中心部の切刃曲線の方が大きな曲率をなすように構成したことを特徴とするエンドミル。(別紙図面参照)

(三)  審決の理由の要点

本件の出願及び手続補正書提出の経緯は右(一)に記載のとおりである。

前記手続補正に対して、原審において昭和五三年一一月一七日付で、

「『エンドミルの外周部の切刃曲線より中心部の切刃曲線の方が大きな曲率をなす』点については、願書に最初に添付した明細書には何も記載されておらず、かつ該明細書の記載からみて自明なことであるとも認められないので、右手続補正は明細書の要旨を変更するものであり、特許法第五三条第一項の規定により却下すべきものと認める。」

という理由で却下の決定がなされた。

そこで、出願当初の明細書及び図面について検討すると、同明細書の第二頁第一七行より第三頁第一行にかけて、「先端部の切刃27は、底面視において、エンドミル中心の切刃始端とエンドミル外周の切刃の終端とを結ぶ直線Lに対し、エンドミル回転方向前進側に凸の滑らかな曲線または曲線と直線との滑らかな結合線又は折線を描く。」と記載し、底面図である第2図においては、中心部が円弧状の曲線をなし、それより外周側では直線をなす線で切刃27を示している。しかしながら、直線を曲線と認めることはできないので、エンドミルの底面視において切刃が、

「エンドミルの外周部の切刃曲線より中心部の切刃曲線の方が大きな曲率をなす」

ように構成した点を、出願当初の明細書及び図面に示されているものと認めることはできず、他にそれを示唆する記載もなく、さらにこの構成が出願当初の明細書及び図面の記載からみて当業者にとって自明な事項であるとも認められない。

したがって、前記の手続補正は明細書の要旨を変更するものであり、原審において前記の手続補正を特許法第五三条第一項の規定により却下すべきものとした決定は妥当なものである。

(四)  審決を取り消すべき事由

審決は、前記昭和五三年一〇月六日付手続補正書(以下「本件補正書」という。)の特許請求の範囲に記載された「エンドミルの外周部の切刃曲線より中心部の切刃曲線の方が大きな曲率をなす」との構成が、出願当初の明細書及び図面に示されておらず、さらに、この構成が出願当初の明細書及び図面の記載からみて当業者にとって自明な事項であるとも認められないとしているが、右認定は誤りであり、その誤りが審決の結論に影響を及ぼすべきものであることは明らかであるから、審決は、これを取り消すべきものである。

すなわち、審決は、「直線を曲線と認めることはできない」として、これを右認定の根拠としてあげているが、これは誤りである。

現代の数学では、直線は一つの曲線であると考えられており、曲線といえば直線を含む概念で、直線の曲率は0であるとされているのである。また、一般常識上も、曲線とは「真直ぐでない線、曲った線、広義には直線を含む」とされている。さらに、機械工学上も、1 カムの運動曲線の一種である変形台形曲線、2 固体摩擦式ダンパの共振曲線、3 疲労試験のS―N曲線、4 貯水池の使用水量累加曲線、5 冷媒と油の溶解温度曲線、6 DD51形ディーゼル機関車の性能における引張力曲線と引張重量曲線、7 各種材料の変形抵抗曲線、8 設備の曲型的故障率曲線、9 オートマチック車の走行性能曲線、10 温度上昇曲線、11 三曲管の特性曲線、12 光電管の特性曲線及び13 FETドレイン特性曲線に関する各記述並びに《証拠省略》の各特許公報における記載中でも、直線部分を含む曲線を全体として曲線と指称している。

以上の事実から明らかなように、全体として直線と曲線が連続する一本の線は、全体として指称するならば、曲線といわざるをえないものである。

本件補正書の特許請求の範囲に記載した「曲線」とは、中心部から外周部に至る一本の線を全体として表現したもので、出願当初の発明の詳細な説明の欄に記載されている「滑らかな曲線」、「曲線と直線との滑らかな結合線」、「曲線と直線との折線」の三つの実施態様を総括的に表現したものである。

このように考えると、「曲線と直線との滑らかな結合線」、「曲線と直線との折線」というのは、全体としてみれば、外周部が曲率0で中心部の方が大きな曲率をなす一本の連続した曲線であるから、「エンドミルの外周部の切刃曲線より中心部の切刃曲線の方が大きな曲率をなす」という構成となり、出願当初の明細書及び図面(とくに、審決認定のとおり、「中心部が円弧状の曲線をなし、それより外周側では直線をなす切刃27を示している」第2図)に示されていたものということができるのである。

二  請求の原因に対する被告の認否及び主張

(一)  原告主張の請求の原因(一)ないし(三)の各事実は認める。

(二)  審決を取り消すべきであるとする同(四)の主張は争う。原告の右主張は、後記のとおり理由がなく、審決には、これを取り消すべき違法の点はない。

すなわち、一般に広義の意味の「曲線」は「直線」を含むものであるという点は被告も認めるが、一般に、作用効果と関連をもつ装置、物品の構造、形状を表現する場合には、直線と曲線、平面と曲面などの差異は明確に区別されるべきもので、特に本件エンドミルのような切削工具の技術分野においては、その切刃部分の構造、形状は作用効果に密接に関連をもつものであるから、本願発明の明細書における曲線の意味は厳密に狭義に解釈し、直線とは明確に区別して取り扱われなければならないものである。

ここで、審決の理由を補足説明すると、審決は、「エンドミルの外周部の切刃曲線より中心部の切刃曲線の方が大きな曲率をなす」点の構成が、出願当初の明細書および図面に示されているものと認めることができず、またそれらに示されているものからみて当業者にとって自明な事項であるとも認められないので、前記の手続補正は要旨を変更するものと認定したのである。そして、その認定をなすに先立って明細書および図面の記載において、前記の点の構成に関連するものとして、(Ⅰ)明細書第二頁第一七行より第三頁第一行にかけて、「先端部の切刃27は、底面視において、エンドミル中心の切刃始端とエンドミル外周の切刃の終端とを結ぶ直線Lに対し、エンドミル回転方向前進側に凸の滑らかな曲線または曲線と直線との滑らかな結合線又は折線を描く。」との記載があることと、(Ⅱ)底面図である第2図において、中心部が円弧状の曲線をなし、それより外周側では直線をなす線で切刃27を示していること、の二点をあげている。そこで、審決は(Ⅰ)の点の記載は切刃曲線に関連ある記載ではあるが、単に切刃27が直線Lに対して回転方向前進側に凸の曲線または曲線と直線とからなる線を描くことを示すのみで、曲率の点には全く触れておらず、前記の点の構成を裏付けるものになりえないことは当業者にとって余りにも明白であるので、いきなり(Ⅱ)の点の外周側の直線の点について言及し、直線は曲線と認めることはできない旨を述べ、前記の要旨変更の認定をしたのである。

ところで、出願当初の明細書においては、全頁にわたって、「線」、「直線」、「曲線」の各用語を明確に区別して使用しており、直線と曲線とを含むものとして線なる用語を用いているのである。しかるに、原告は、本件手続補正書において、新たに「切刃曲線」なる用語を導入して、その「曲線」の中に曲線は勿論、出願当初の明細書において曲線と厳しく区別して用いていた直線をも含め、それを基にして「エンドミルの外周部の切刃曲線より中心部の切刃曲線の方が大きな曲率をなす」という新たな構成を発明の要旨の中にもちこもうとしているものである。

さらに、原告は、《証拠省略》を挙げて、部分的に直線部分を含む曲線を全体として曲線と指称することは、機械工学等の技術分野においても、明らかであると主張している。しかしながら、前記の《証拠省略》に示されているものは、すべて「カムの運動曲線」、「共振曲線」、「温度曲線」などのいわゆる“線図”であって、作用効果と関連をもった装置、物品の構造、形状を表現するものではないのである。

前記のように、本件エンドミルのような切削工具の技術分野においては、その切刃部分の構造、形状は、その作用効果に密接に関連をもつものであって、曲線の意味は、厳密に直線とは区別して、狭義の意味に解釈し、使用されなければならないものである。

次に、構造、形状を問題にする場合に、曲線と直線の用語は明確に区別して使用されるものである点について具体的な証拠を示すと、1 庖丁の刃の形状、2 糸状体の切断機の切断刃の形状、3 仕上用円弧ホブの切刃、4 平フライス、エンドミルの切刃に示されるとおりで、切削工具の技術分野において切刃部分などの構造、形状を問題にする場合には、曲線と直線の用語は明確に区別して使用されるものであるから、本件補正書に記載するように、切刃曲線を一本の曲線とみなし、外周部より中心部の曲率を大きくするという構成に変更することは、明細書の要旨を変更するものといわざるをえない。

第三証拠関係《省略》

理由

一  原告主張の請求の原因(一)ないし(三)の各事実(特許庁における手続の経緯、本件補正書により補正された発明の要旨及び審決の理由の要点)については、当事者間に争いがない。

二  そこで、審決取消事由の存否について検討する。

(一)  審決は、本件補正書の特許請求の範囲に記載した「エンドミルの外周部の切刃曲線より中心部の切刃曲線の方が大きな曲率をなす」との構成要件が、出願当初の明細書および図面に示されているものとは認められず、さらに、この構成が出願当初の明細書および図面の記載からみて当業者にとって自明な事項であるとも認められないとしている。

しかしながら、《証拠省略》によれば、本願発明の特許出願当初の明細書には、「先端部の切刃27は、底面視において、エンドミル中心の切刃始端とエンドミル外周の切刃の終端とを結ぶ直線Lに対し、エンドミル回転方向前進側に凸の滑らかな曲線、または曲線と直線との滑らかな結合線又は折線を描く。」との記載があり、右直線Lを示した別紙図面第2図が添付されていることが認められ、この記載によれば、本願発明の切刃27については、その底面視において、(1) 凸の滑らかな曲線、(2) 曲線と直線との滑らかな結合線、(3) 曲線と直線との折線、の三様の形態が示されているものであるところ、右(1)の形態については、当然、一定の曲率の曲線のみによって構成されるものばかりでなく、曲率を異にする複数の曲線が滑らかに結合して凸状となっているものも含まれているとみるのが相当である。ところで、《証拠省略》によれば、本願発明の特許出願当初の明細書には、「該チップ20は大略矩形板状を呈し、正面視(第1図)において縦長矩形、底面視(第2図)(エンドミル回転方向下側から上を見た場合)において縦長矩形を呈す。」との記載があることが認められ、この記載によれば、チップ自体が底面視で縦長矩形であるとされているものであるから、その先端部に付された切刃27の回転方向前進側も底面視において縦長矩形状より外に出ることはないはずであり、一方、前記直線Lに関する明細書の記載と前記第2図とによれば、切刃27は直線Lに対し、エンドミル回転方向前進側(別紙図面第2図においては左側)にあるものであるから、切刃27は、その底面視において、右第2図の直線L、第一短辺面23を表わす直線及び第二長辺面を表わす直線22によって構成される(同図においては縦長の)直角三角形内にあることになる。そして、このことを、前記明細書の記載に含まれているとみられる曲率の異なる複数の曲線を滑らかに結合した凸状の切刃線の場合についてみれば、その中心部に近い曲線の曲率を外周部に近い曲線の曲率より小にするためには、中心部に近い曲線の曲率を極めて小さくしその曲線を直線に近いものとしなければならず、それでは切刃の底面視線を直線Lに対して実質上凸の滑らかな曲線にしたということができないことから、右の場合においては、その中心部に近い曲線の曲率の方が外周部の曲線の曲率よりも大でなければならないことは明らかであり、結局、前記明細書及び図面には、「エンドミルの外周部の切刃曲線より中心部の切刃曲線の方が大きな曲率をなす」点について記載されていたか、または記載されていたと同視しうるものとするのが相当である。そしてまた、前記第2図には、審決も認定したとおり、中心部が円弧状の曲線をなし、それより外周側では直線をなす線で切刃27を示しているもの、すなわち、前記(2)の形態に含まれるエンドミルが表示されているが、これが、本件補正書による補正後の発明の要旨における切刃曲線が直線と曲線とを結合するものを含むと解されるため右発明に示されたエンドミルそのものを図示しているかどうかは暫く措くとしても、少なくとも、これが、前記曲率を異にする複数の曲線が滑らかに結合して凸状となっているもののうち、右第2図の形態のものに近いもの、すなわち、中心部に近い曲線の曲率の方が外周部の曲線の曲率よりはるかに大きいものも、前記出願当初の明細書記載の発明に含まれることを明らかに示唆しているといわなければならない。

(二)  ところで、被告は、一般に作用効果に関連を持つ装置、物品の構造、形状を問題にする場合には、「直線」と「曲線」の用語は明確に区別して使用され、原告も前記出願当初の明細書において、「線」、「直線」、「曲線」の各用語を明確に区別して記載使用しているのであるから、本件補正書において新たに「切刃曲線」という用語を導入して曲線の中に直線を含めようとすることは、新たな構成を発明の中に持ちこもうとするもので許されない旨主張するが、右補正後の発明における「切刃曲線」が直線と曲線との結合されたものを含むと解さなくても右補正後の発明における「エンドミルの外周部の切刃曲線より中心部の切刃曲線の方が大きな曲率をなす」という構成が前記出願当初の明細書及び図面に示されているとみられることは前示のとおりであるばかりでなく、被告主張のような作用効果と関連を持つ装置、物品の構造、形状を表現する場合でも、直線を広義の意味の曲線に含めて表現することが全くないと断定するに足る証拠はなく、かえって、「直線」が作用効果との関連上完全な直線でなければならないときにこれを曲率0の曲線と表現することのありえないことは明らかであるとしても、本願発明においては、その構成上、曲率0に近い曲線でも完全な直線でも作用効果との関連で特段の区別をする必要のないことは明らかであるから、直線を含む広義の意味で「曲線」という表現をとることは許されるとみるのが相当であり、前記補正後の発明における「切刃曲線」の表現を右のように解した場合には、前記第2図に示されたものは右補正後の発明に含まれるエンドミルそのものを示していることになるから、被告の右主張は採用できない。

(三)  以上によれば、審決の前記認定は誤りといわなければならず、その誤りが審決の結論に影響を及ぼすべきものであることは明らかであるから、審決は、違法としてこれを取り消さなければならない。

よって、審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を正当として認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石澤健 裁判官 楠賢二 岩垂正起)

<以下省略>

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